最近読んだ本に「今の自分を最高なものにするためには憧れることを手離す」というようなことが書いてあった。
憧れるのは悪いことではないけど、憧れるのは自分にはないものをその人が持っているからで。
自分もあんなふうになれたらないいのにと思うことは今の自分を否定することになるから。らしい。
今ある自分の強みを磨いていくべきだと。
確かに今の自分を否定して丸ごと憧れのあの人みたいになりたいっていうのは自分を否定することになるのかもしれない。
でも、自分にあるものと自分にないものを認めて、自分にあったらもっと良くなるだろうなという武器を身につけよう挑戦したり、努力することはいいことだと思う。
自分の武器を磨いていくことも大切だけど、同時に他の武器を試してみることも大切じゃないかな。
といいつつも、新しい武器を増やしていく過程で私は途中で諦めることが結構ある。
そして、それは決してネガティヴな感情ではなくて、私にこの武器は使いこなせないから手離すというようなこと。
もっといい武器を見つけるので、これはやっぱりいらないですというようなこと。
「諦める」というと、根性がないとか、中途半端で投げ出すとか、無責任とかネガティヴな事ばかり言われがちだけど。
そもそも諦めるの語源は「真理、道理を明らかにする過程で、自分の願望が達成できそうにない理由が分かり、納得してそれへの思いを断ち切る」という意味があって、ネガティヴどころかむしろポジティブな言葉。
やる前から諦めてしまうのは勿体無いけど、やってみてなんだか全然上達しない事だったり、そもそも調べてみても言ってる意味さえわからないみたいなことってよくある。
私は機械に弱くて、iPadの違いや内蔵されてるチップの性能を説明してもらったところで全く理解できないし。
ダンスなんて練習しても、左と言われて右脚がでてしまうし。
数学の問題集を10回以上解いていたとしても、テストになってその数字が変わると分からなくなる。
人には向き不向きがあって、どれだけ努力しようと勉強しようと凡人は一流にはなかなかなれない。
一流は努力をすれば素質はあるから超一流になれるかもしれないけれど。
それが明らかになった場合、絶対にそれしかやりたくないっていうことなら別かもしれないけど、諦めて他にもっと自分の才が活かせることをやったほうがいい。その方が自分だって絶対に楽しい。
こんなに頑張ってるのに成果が出ない!と思うことほどストレスなことはないわけだし。
恋愛でもそう。
何度デートしても相手が振り向いてくれない。
そんな相手よりも、もっとデートしていて楽しくて自分のことを大切に扱ってくれる人にも目を向けてみた方がいい。その恋を諦めるというのも一つの選択で、それが悪いとは全く思わない。
学生の頃は思わなかったことだし、それも思い出だなと思うけど正直6ヶ月以上の片想いは無駄な時間だったかもしれないと思う。これは私個人の意見だけど。
長い間片想いしてるとその人のことを自分の中で妄想して自分の理想であるかのように仕立ててしまう。だから長い間、片想いしているほど、付き合えた時のギャップって大きいものになりやすい。あれ、付き合う前はこういう人だと思っていたのにな。とか。
恋愛でも仕事でも趣味でも一度すぱっと諦めてしまって他にも目を向けてみる。
それでもその人が良かったり、その仕事がやってみたかったらまたもう一度違うやり方で試してみてもいい。
この人も好きになれる人なんていないと思っていても、もっと好きな人に巡り合うことだって普通に今までの人生で起きてきた。
諦めは逃げてはなくて、自分で最良な選択をしていくための一つの選択肢であると私は思います。
全然諦めていい。
諦めることは悪いことじゃない。