私は最近、人に対してあまりイラッとすることがなくなったなぁと思うのですが、前までは結構些細なことでイラッとしていました。
私が怒らないようになったのは、心が広くなったからと言っているのですが。笑
具体的にいうと・・・
・自分軸で考えていないか?
・相手に期待しすぎない
・自分は自分、他人は他人
考え方を変えたら人に対してイライラしたり腹が立つことが少なくなったような気がします。
まず、人に対してイライラしたり腹が立つのはなぜか。
それは多分、自分の許容範囲を超えているからだと思うんです。
例えば、自分は絶対に遅刻はしないし、したこともない、するなんてあり得ないと考えていたら、遅刻をしてくる人に対してすごく腹が立ちます。
自分は野球部で挨拶は絶対だと思っていたら、挨拶をしない人になんだコイツと思うかもしれません。
自分にとっては当たり前のことを、他人ができないから腹が立ったり、イライラしたり、負の感情を抱くのではないかと思います。
あとは、ほんとは自分がやりたいと思ってるけどできないことをやっている人を見ると、イライラするという投影という心理もあると思うのですが、それはまた今度お話したいなと思います。
そもそも、冷静に考えてみたら人はみんな違うのだから仕方のないことですよね。笑
野球部では挨拶が当たり前だけど、部活に入っていない人はそんなことを習わないわけですし、挨拶をされないよりかはした方がいいとは思うけど絶対ではないわけで、そういう人もいます。
遅刻もそう。遅刻をして人に迷惑をかけることは良くないことだけど、電車が時間通りに来ない国だってありますし、極論、仕事なら時間内に自分の業務を終わらせるのであれば問題なくない?と言われれば、まあそうですよね。となる。
でもそれに腹が立つ人は自分にそれを許せないから、相手にも許せない。つまりは自分にも厳しいし、人にも厳しくなりがち。
また仕事で部下や後輩に仕事を頼む時、これくらいならできると思ってた仕事でミスをされたりするとイラってするのは、自分ができるだろうと思っていたことができなかったから。
もしかしたらできないかもしれないと思っていたら、手厚くフォローをするし、できなかったり失敗してしまっても、まあ。だよね。と思ってイライラしないと思いませんか?
つまり、自分に対しての許容範囲=相手に対しての許容範囲であり。
自分ができることなら相手もできるという自分軸でしか見ていない過剰な期待。
自分が相手に求めていることをきちんとやって欲しい(できて当たり前)という期待だと思うんです。そしてそれが思い通りにならなかった場合、イライラするといった具合でしょうか。
期待された側からしたらたまったもんじゃないですよね。笑
題名に戻るんですけど、普段の生活でもイラってする場面。よく考えたらそうだったなと思ったんですよ。
1ヶ月くらい前にわが家で起きた麻婆春雨事件のお話なのですが、その日は私が仕事で遅くなるという日。
旦那さんの方が先に仕事が終わり、「何かしておくことはある?」と聞いてくれました。優しいですよね。
「犬の散歩と洗濯回せたら回しておいてほしいな」と伝えました。
基本旦那さんはお料理はできないので、よっぽどのことがない限り私が作っているのですが、家に帰るとまさかのまさか旦那さんがご飯を作っていてくれました。
だけど、なんだか様子がおかしい。
出てきたのは、明らかに汁がなくて硬い麻婆春雨。(作りたて)
「・・・これ、水の量はかった?」
「テキトーに入れたー」
「・・・これ、レトルトだよ?水を適量入れたら誰でも簡単に美味しく作れるようにできてるの。しかも料理初心者なんだから、せめて説明書読んで作れない?」
旦那さん、しゅん・・・
「一応見たんだけど、、300ミリって言うのが分からなかった。はかるのないじゃん」
「このコップ350じゃん!だからだいたいこのくらいじゃんよ!」
「そうなんだ・・んー、頑張って作ったのに、もうやらない!」
となってしまった麻婆春雨事件。
今思い返すとめちゃくちゃくだらない。笑
でも、この時私は水を入れるだけでできる簡単なレトルトなのに、こんなこともできないとイライラしたんです。
しかも仕事で疲れて帰ってきて、ご飯を作ってくれたことは嬉しいけど、結局もう一度水を入れて作り直さなくてはならない二度手間。
レトルトなのに!!水を入れるだけなのに!!なぜ失敗する!?それくらい普通は誰でもできるでしょ!!と。
だけどそれって
私は「普通は誰でもできる。水を入れるだけの簡単な料理」と思っていたけど旦那さんからしたら違った。できない人もいた。
だけどその普通や当たり前というのを自分の軸でしか考えられなかったから相手に勝手に期待して、それを裏切られたと感じた。
こんなこともできないのか?と感謝の前にイライラが出てしまったのだと思います。
はあ、ひどい妻ですこと。笑
普通は〜とか
〜して当たり前
とか私たちは生活で使いがちですが、それってあくまでも自分軸で考えていることで、それが当たり前でも普通でもない人がいる。
自分と他人の意見や考え方、能力はみんな違う。
自分以外に色々な人がいるということを考えるだけでも、少しは違ってきます。
あくまでも他人。
自分と他人は考え方も違う。
その考え方をするようになってから、むしろ面白くなってしまう時もある。
会社に大きな損失を出してしまったとか、周りの人に多大な迷惑をかけてしまったとか、人を傷つけたとか。よっぽどのことには怒ってもいいと思うのですが
日常生活の些細な苛立ちを感じれば感じるほど自分の許容範囲が少ない心の狭いやつだなあと自分で思うようになって、色んな人がいておもしろいなと思うようになると、意外と自分がかっちりしすぎていたんだなと思うことも多い。
相手を許せるようになると、自分にも甘くすることができる。
他人まで思い通りにしようとすると疲れてしまうから
自分は自分、他人は他人と思うことも大切かなと。
意外と挨拶ができなくても、遅刻常習班でも、生意気でも、ミスばっかりの人でもそんなに苦労しないで生きている人はいます。笑
そういう人が合わさってこの世界はできているんだなぁと俯瞰してみると、なんだかうまくできているし、面白いなあと思ってしまうものです。
何より、他人の行動で自分のイライラを左右されるのって自分の人生なのにもったいないよね。